セミリタイア後に振り返る会社員時代…3度の転職を通じて得たもの!
私は5年前に会社を辞めて、フリーランスとなりました。
個人事業主を経て、法人も立ち上げ、現在は、週3日だけ働くフリーコンサルタントとして生活しています。
半分働いて、半分自由に過ごしている、いわゆるセミリタイア状態であるという認識です。
仕事量が減ったとはいえ、会社員時代と同様、仕事を続けているため、多少のストレスは今も存在しています。
ただ、会社員時代の辛さを思えば、今のストレスはなんともないようなレベルです。
今回は、セミリタイアしている今だからこそ、振り返ることのできる会社員時代の嫌な思い出…ではなく、そこから何を得たのか(教訓)を書いてみたいと思います。
①某国内系シンクタンクA社(科学技術計算部門)での経験
私の社会人デビューは、IT専門学校の非常勤講師でした。
ITに詳しければ、どの会社へ行っても通用するような流れもあり、ITスキルを必死で身につけようと努力しました。
そして、非常勤講師をしている時に、人脈経由で、某国内系のシンクタンクA社から、入社のお誘いがあったのです。
フルタイムで働く会社での勤務は、このA社が初めてとなります。
A社はシンクタンク、いわゆる調査組織のようなところで、さまざまな分野の専門家がいました。
私は、科学技術計算を専門とする組織に配属され、そこでスキルを磨きました。
具体的には…
渋滞予測をしたり、需要予測をしたり、スケジューラーを作ったり、構造解析をしたり…。
仕事自体は、多忙でしたが、嫌いな分野ではなかったですし、若くて体力もあったので、苦はありませんでした。
月間400時間稼働を何ヶ月も続け、偉い人に呼び出されたこともありました。
休日作業や徹夜なども日常茶飯事でした。
私は、この会社でずっと、科学技術計算をしていくことに疑いを感じませんでした。
そして、数年後。
IT技術の発展もあり、従来の科学技術計算が、市場のニーズとマッチしなくなってきました。
ざっくりと言えば、正確な計算結果を出すシステムよりも、おおざっぱな計算結果を迅速に出すシステムのビジネスニーズが高まってきたのです。
その結果、科学技術計算部門の収益は、みるみる悪化していきました。
私自身も、自分の計算スキルには自信がありましたが、自分自身で仕事をとってきたわけではありません。
上司が獲得してくれた仕事をこなしていた、いわゆる兵隊でした。
大きな船が傾いていくのは感じましたが、私自身、自力で泳ぐことはできませんでした。
”どれだけ技術があっても、会社・組織・上司の活躍がないと自分だけでは何もできない”
この点、私は、かなり悩みました。
自分の技術力を高めることには余念がありませんでしたが、自分は一体誰からお金を得て、誰を喜ばせていたのだろう?
いろいろ考えた末、やはり自分のビジネスは自分で完結させたいという思いが勝ち、私はA社を退職することにしたのです。
②某外資系コンサルティングファームB社での経験
A社を退職して、私は、外資系のコンサルティング会社B社に転職しました。
B社には知人もいて、誘われた格好になります。
外資系のB社にはA社とは全く異なる文化がありました。
まず、自分の仕事は自分でとってくる風潮があり、そうでない人はどんどんクビになっていくような文化です。
その代わり、完全年俸制で、仕事が順調に進むと、年収をものすごく上げることができます。
私も30歳くらいでしたが、仕事が順調だったため、年収は大台を軽く超えていました。
ハイリスク・ハイリターンの社会。
難しい計算はしなくてもいいけど、継続的に仕事はとってこないといけない社会。
A社とは異なる環境に最初はとまどいましたが、これもスキルということで、私はふんばりました。
その結果、収入的には問題のない生活を送っていました。
しかし、仕事面では、外資系特有の弊害もでてきました。
仕事を獲得して、自分が評価されてなんぼの世界ですから、個人同士がギスギスしていくのを感じるようになっていました。
”あいつより俺のほうがすごい”
こんなフレーズがあちこちから聞こえてきました。
一緒に仕事をするメンバーも取り合いとなり、殺伐とした世界を目の当たりにしました。
”俺のチームがいいのか、あいつのチームがいいのか、どっちなんだ”
まさに「踏み絵」の世界です。
こんな世界で仕事を続ければ、人間不信になってしまう…。
再び、私は悩みました。
もっと穏やかな環境で仕事がしたい…。
悩んだ末、私は高年収を捨て、外資系の風土とは、おさらばすることになったのです。
③某国内系コンサルティングファームC社での経験
外資系のコンサルティングB社を退職した私は、同一分野の国内系コンサルティング会社に転職しました。
A社で学んだ「自分で仕事をとる重要さ」
B社で学んだ「人間の付き合いの重要さ」
それを実践できるのは、このC社しかないと思ったのです。
C社では、B社のときよりも年収は少し下がりました。
ただ、年俸制とはいえ、日本向けにアレンジしており、安定そのものでした。
C社では、メンバーにも恵まれ、私自身、不満はありませんでした。
その結果、私は10年近く、C社に在籍することになるのです。
C社では、自分でも仕事を獲得することができましたし、他のメンバーとも仲良く仕事をすることができました。
ブラック企業は悪だという、時代の流れもあり、徹夜することも休日出勤することもなくなりました。
居心地はとてもよかったんですが…。
私はC社のプロジェクトを遂行中、まさかのうつ病になってしまうのです。
この原因は今でもはっきりとはしていません。
出張が多かったせいなのか、自由時間が少なかったせいなのか、自分で仕事を選択できないジレンマのせいなのか…。
週5日働くという当たり前の生活に、私自身、無意識のうちに限界を感じていたのかもしれません。
その後、うつ病は1年半も完治せず、私は、C社を退職せざるをえない状況となってしまうのです…。
まとめ
A社で学んだ「自分で仕事をとる重要さ」
B社で学んだ「人間の付き合いの重要さ」
C社で学んだ「好きな仕事を選択できる自由さ」
これらの経験を経て、現在の独立・起業・フリーランス生活は成り立っています。
今では、自分で好きな仕事を獲得できる状況になりました。
嫌な人とは一緒に仕事をしなければいいだけです。(社会にはさまざまな環境があるので。)
自分にとって必要なスキルは
「経営を継続すること(稼ぎ続けること)」
であって、技術力だけでも、営業力だけでも、足りていないことを学習しました。
やはりバランスなんだと思います。
この、自分自身ですべてを完結できている達成感。
これが、長年、私が追い求めていた、あるべき仕事の感覚なのかもしれません。
もちろん、自分の時間を労働に捧げる本業収入も重要ですが、働けなくなった場合のリスクヘッジも重要です。
このため、本業だけにパワーを注ぐのではなく、金融投資や不動産投資も拡大していきたいと考えています。
現在のこの考え方が、20代の頃に身についていたとしたら…
私の人生はもう少し変わっていたのかもしれません。