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セミリタイア後に振り返る会社員時代…3度の転職を通じて得たもの!

2022年3月22日生き方・働き方

私は5年前に会社を辞めて、フリーランスとなりました。

個人事業主を経て、法人も立ち上げ、現在は、週3日だけ働くフリーコンサルタントとして生活しています。

半分働いて、半分自由に過ごしている、いわゆるセミリタイア状態であるという認識です。

仕事量が減ったとはいえ、会社員時代と同様、仕事を続けているため、多少のストレスは今も存在しています。

ただ、会社員時代の辛さを思えば、今のストレスはなんともないようなレベルです。

今回は、セミリタイアしている今だからこそ、振り返ることのできる会社員時代の嫌な思い出…ではなく、そこから何を得たのか(教訓)を書いてみたいと思います。

①某国内系シンクタンクA社(科学技術計算部門)での経験

私の社会人デビューは、IT専門学校の非常勤講師でした。

ITに詳しければ、どの会社へ行っても通用するような流れもあり、ITスキルを必死で身につけようと努力しました。

そして、非常勤講師をしている時に、人脈経由で、某国内系のシンクタンクA社から、入社のお誘いがあったのです。

フルタイムで働く会社での勤務は、このA社が初めてとなります。

A社はシンクタンク、いわゆる調査組織のようなところで、さまざまな分野の専門家がいました。

私は、科学技術計算を専門とする組織に配属され、そこでスキルを磨きました。

具体的には…

渋滞予測をしたり、需要予測をしたり、スケジューラーを作ったり、構造解析をしたり…。

仕事自体は、多忙でしたが、嫌いな分野ではなかったですし、若くて体力もあったので、苦はありませんでした。

月間400時間稼働を何ヶ月も続け、偉い人に呼び出されたこともありました。

休日作業や徹夜なども日常茶飯事でした。

私は、この会社でずっと、科学技術計算をしていくことに疑いを感じませんでした。

そして、数年後。

IT技術の発展もあり、従来の科学技術計算が、市場のニーズとマッチしなくなってきました。

ざっくりと言えば、正確な計算結果を出すシステムよりも、おおざっぱな計算結果を迅速に出すシステムのビジネスニーズが高まってきたのです。

その結果、科学技術計算部門の収益は、みるみる悪化していきました。

私自身も、自分の計算スキルには自信がありましたが、自分自身で仕事をとってきたわけではありません。

上司が獲得してくれた仕事をこなしていた、いわゆる兵隊でした。

大きな船が傾いていくのは感じましたが、私自身、自力で泳ぐことはできませんでした。

”どれだけ技術があっても、会社・組織・上司の活躍がないと自分だけでは何もできない”

この点、私は、かなり悩みました。

自分の技術力を高めることには余念がありませんでしたが、自分は一体誰からお金を得て、誰を喜ばせていたのだろう?

いろいろ考えた末、やはり自分のビジネスは自分で完結させたいという思いが勝ち、私はA社を退職することにしたのです。

②某外資系コンサルティングファームB社での経験

A社を退職して、私は、外資系のコンサルティング会社B社に転職しました。

B社には知人もいて、誘われた格好になります。

外資系のB社にはA社とは全く異なる文化がありました。

まず、自分の仕事は自分でとってくる風潮があり、そうでない人はどんどんクビになっていくような文化です。

その代わり、完全年俸制で、仕事が順調に進むと、年収をものすごく上げることができます。

私も30歳くらいでしたが、仕事が順調だったため、年収は大台を軽く超えていました。

ハイリスク・ハイリターンの社会。

難しい計算はしなくてもいいけど、継続的に仕事はとってこないといけない社会。

A社とは異なる環境に最初はとまどいましたが、これもスキルということで、私はふんばりました。

その結果、収入的には問題のない生活を送っていました。

しかし、仕事面では、外資系特有の弊害もでてきました。

仕事を獲得して、自分が評価されてなんぼの世界ですから、個人同士がギスギスしていくのを感じるようになっていました。

”あいつより俺のほうがすごい”

こんなフレーズがあちこちから聞こえてきました。

一緒に仕事をするメンバーも取り合いとなり、殺伐とした世界を目の当たりにしました。

”俺のチームがいいのか、あいつのチームがいいのか、どっちなんだ”

まさに「踏み絵」の世界です。

こんな世界で仕事を続ければ、人間不信になってしまう…。

再び、私は悩みました。

もっと穏やかな環境で仕事がしたい…。

悩んだ末、私は高年収を捨て、外資系の風土とは、おさらばすることになったのです。

③某国内系コンサルティングファームC社での経験

外資系のコンサルティングB社を退職した私は、同一分野の国内系コンサルティング会社に転職しました。

A社で学んだ「自分で仕事をとる重要さ」

B社で学んだ「人間の付き合いの重要さ」

それを実践できるのは、このC社しかないと思ったのです。

C社では、B社のときよりも年収は少し下がりました。

ただ、年俸制とはいえ、日本向けにアレンジしており、安定そのものでした。

C社では、メンバーにも恵まれ、私自身、不満はありませんでした。

その結果、私は10年近く、C社に在籍することになるのです。

C社では、自分でも仕事を獲得することができましたし、他のメンバーとも仲良く仕事をすることができました。

ブラック企業は悪だという、時代の流れもあり、徹夜することも休日出勤することもなくなりました。

居心地はとてもよかったんですが…。

私はC社のプロジェクトを遂行中、まさかのうつ病になってしまうのです。

この原因は今でもはっきりとはしていません。

出張が多かったせいなのか、自由時間が少なかったせいなのか、自分で仕事を選択できないジレンマのせいなのか…。

週5日働くという当たり前の生活に、私自身、無意識のうちに限界を感じていたのかもしれません。

その後、うつ病は1年半も完治せず、私は、C社を退職せざるをえない状況となってしまうのです…。

まとめ

A社で学んだ「自分で仕事をとる重要さ」

B社で学んだ「人間の付き合いの重要さ」

C社で学んだ「好きな仕事を選択できる自由さ」

これらの経験を経て、現在の独立・起業・フリーランス生活は成り立っています。

今では、自分で好きな仕事を獲得できる状況になりました。

嫌な人とは一緒に仕事をしなければいいだけです。(社会にはさまざまな環境があるので。)

自分にとって必要なスキルは

「経営を継続すること(稼ぎ続けること)」

であって、技術力だけでも、営業力だけでも、足りていないことを学習しました。

やはりバランスなんだと思います。

この、自分自身ですべてを完結できている達成感。

これが、長年、私が追い求めていた、あるべき仕事の感覚なのかもしれません。

もちろん、自分の時間を労働に捧げる本業収入も重要ですが、働けなくなった場合のリスクヘッジも重要です。

このため、本業だけにパワーを注ぐのではなく、金融投資不動産投資も拡大していきたいと考えています。

現在のこの考え方が、20代の頃に身についていたとしたら…

私の人生はもう少し変わっていたのかもしれません。

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Posted by かずきび