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英語・道徳・プログラミング…親世代の認識はもう古い?

2019年8月15日生き方・働き方

主要科目としての、国語、算数、理科、社会。

副教科としての、体育、音楽、図画工作、書き方、家庭科。

教科外の活動としての、道徳、学活。

私が小学生の頃に、先生が教えてくれていた教科です。

私は46歳の団塊ジュニアで、現在の小学生の親世代でもあります。

もうお気づきのことかと思いますが…

現在の小学生が習っている教科は、昔、我々が習ってきたものと若干異なるものとなっています。

今回は、勉強や自己啓発の一環として、時代の変化と新しい教科、その必要性について見ていきたいと思います。

時代の流れを踏まえた教育改革

私が教育を受けていた35年前と現在とでは、社会のニーズが全く異なっています。

35年前は、携帯電話もインターネットもAIもインバウンドもありませんでした。

しかし、現在の子ども達は、これらを、うまく使いこなしていかなければなりません。

特に、AIの進化は、仕事の在り方を変えるものとなりました。

これにより、個々人の企画力やクリエイティビティを高めていく必要がでてきました。

「ググれば、なんでも分かる」

という世の中は、暗記や知識に偏った詰め込み教育が否定するようにもなりました。

ペーパー試験の在り方もどんどん変化してきています。

知識の量よりも、

”何のために、何を、どのように、使っていくのか”

という点に重きを置いた教育に舵が切られているのです。

これにより、人生の早い段階からの教育、つまり、小学校の教育にも大きな見直しがかけられました。

具体的な変更点は、次の3点になります。

①道徳の教科化
②英語の早期教育
③プログラミング

順番に見ていきたいと思います。

道徳の教科化

昔は、道徳は、教科外活動のひとつでした。

しかし、2018年度から、道徳が教科化されることになりました。

いじめのニュースをはじめ、若者の事件が増えたことが原因で、道徳心を身につける必要があるという狙いがあったのでしょう。

道徳は、善悪の判断や思いやり、伝統や文化、国際文化など、学習内容は多岐にわたると思われます。

どのように成績をつけるか疑問に思いますよね。

算数の成績が1というのはまだ許せますが、道徳の成績が1って…

正直、凹むと思います…。

ただ実際のところは、5段階評価のような序列をつけるのではなく、記述式で

”○○の点で成長できた”

などの形式で評価されることになるようです。

教えたこともない科目であることに加えて、生徒の多様性を見出さないといけないため、先生は大変な評価作業になると思われます。

十人十色であっていいはずの生き方を、ひとつの生き方しか知らない人間から評価されるわけです。

何が何だかよく分かりません。

道徳に絶対的な”正解”はないはずなのに…。

先生は、他の科目のように、”正解”に誘導するのではなく、生徒自身が考え抜いたものについて、寄り添う観点が重要になってきます。

現場で混乱を招かないといいのですが…。

英語の早期教育

35年前は、小学校で英語は教えていませんでした。

英語は中学校で初めて登場する主要科目となっていました。

しかし、現在は、小学5年生から、外国語活動が開始されています。

従来のように、文法から入るのではなく、英語を聞くことや話すことが中心になっているようです。

本格的に英語の授業が始まる中学校に向けた、事前準備的な位置付けなのでしょう。

2020年度からは、この外国語活動が、小学3年生から開始されることになっています。

インバウンド化やグローバル化の影響を受けているのでしょう。

英語の重要性は理解できますが、個人的には、英語の早期教育には疑問を感じています。

母国語(日本語)でも、うまく話ができていない小学3年生に、英語を教え込んでも、どちらも中途半端になるような気がしています。

実際、普通の小学3年生と話してみると分かります。

この子が、何を伝えたいのか、よく分からないことが多々あります。

そんな状態で、英語を教え込んでも、まさに、何を言っているのか、分からなくなるのではないでしょうか。

私は、日本語の本をしっかりと読んで、周りの人といろいろ話して、話すべき内容をきちんと持っていることのほうが英語よりも重要だと思っています。

大人でも同様で、英語よりもコンテンツが重要なのは、私も多々、経験してきました。

まずは、母国語(日本語)で、物事をしっかりと考え、伝える力をつけることが重要なのではないでしょうか。

プログラミング

2020年から、プログラミング活動が加わることになっています。

これは、AI時代に備え、変化に対応でき、論理的に物事を判断できる人材を育成するということが狙いなのでしょう。

この狙いには賛同できます。

私は、さまざまなシステム開発を行ってきました。

その現場では、プログラミングそのものではなく、算数や論理的思考のほうが重要であることを、嫌というほど、見てきました。

しかし、それを教える側の先生は大変だと思います。

まず、ほとんどの先生は、英語は習ったことがあっても、プログラミングをやったことはないのではないでしょうか。

何もプログラミング言語を使った経験を問うているのではありません。

物事を判断するときに、論理的思考やアルゴリズム的思考をするクセがついているか、という点が問われているのです。

もっと言うと、複雑で混沌とした状況において、複雑な状況を

”AかBかCか”

というデジタルな問題に置き換えることができるかという点です。

この分野は専門性が高いと思われます。

英語のように、外部からできる人材を集めたくても、外国人のようにできる人がいるわけではありません。

実際、プログラミングや情報に長けた人は、企業や大学の現場で業務や研究をバリバリ行なっているためです。

しかも、AIを見据えているのであれば、プログラミングだけではなく、データの整理や確率統計的な考え方(ようは数学)も必要になってきます。

非常に奥の深い科目です。

この人手不足・スキル不足をどう解消していくのでしょうか…。

まとめ

以上、後ろ向きなことばかりになりましたが、道徳、英語、プログラミングについて、見てきました。

総じて言えるのは、教える側である先生の負荷が高まるのは確実だという点です。

現在、政府が推し進めている”働き方改革”とは思想が逆行しています。

外部人材の活用、そのための予算取り、該当分野の啓発活動…

狙いは理解できますが、まだまだ問題は山積みだと感じています。

いずれにしても、子ども達の成長の妨げにならないような、適切な改革がなされることを願っています。

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Posted by かずきび