アルバイト漬けだった学生時代…週3日だけ働く生活につながった教訓とは?
私は会社員を卒業しました。
現在、フリーランスとして活動しています。
自由な日々で満足感は高いですが、
「お金のことが頭から離れない」
点については、今も昔も変わらなかった気がします。
学生時代、私は、勉強やクラブ・サークルよりも、アルバイトを最重要視していました。
その頃から、お金に関する興味は、人一倍あったのではないかと思います。
アルバイトだけで、月20万はコンスタントに稼いでいました。
社会人になってすぐの頃、学生時代よりも手取り額が減ったという悲しい記憶もあります。
しかし、アルバイトは、お金を稼ぐことだけではありません。
アルバイトは、さまざまな面で私に成長を与えてくれました。
今回は、私の個人的な思い出話になりますが、アルバイト生活を振り返ってみて、そこから学んだ教訓を共有させていただきたいと思います。
一人暮らしで学んだこと
昔、大阪府堺市の泉ヶ丘駅近くに
「ヤングタウン」
と呼ばれる古い学生用アパートがありました。
私は大学生になとすぐに、この「ヤングタウン」に入居を申し込みました。
共同トイレに共同風呂。
家賃は1万2000円。
自分で振り込みしていたので金額はよく覚えています。
こんなところには誰も住まないだろう、というボロボロ物件でした。
私は当時、
「アルバイト収入と奨学金だけで生活し、自分の力で大学の単位をとって卒業する」
という目標をたてました。
大学に依存したくなかったのかもしれません。
単に一人暮らしを堪能したかったのかもしれません。
本当の理由は、今でもはっきりとしません。
ただひとつ…
私は、賃貸不動産というものについて、強いあこがれや興味があり、それをボロボロ物件に見立てていたことだけは事実です。
ただ、現在、「ヤングタウン」は既に姿を消しています。
その跡地には、大学が新しく建築されています。
今思えば、「ヤングタウン」は、稼ぐ楽しさ、不動産・ファイナンシャルプランに対する興味を教えてくれた、私にとっては、忘れられない思い出の地となっています。
ボロボロの建物でしたが、今でも私の心の中では生きており、非常に感謝しています。
家庭教師から学んだこと
大学生の定番である家庭教師のアルバイト。
家庭教師は、時間給が高かったので、アルバイト収入のベースとして学生時代の6年間、ずっと継続していました。
全部で20人近くの中高校生を教えていたと思います。
特に、大学受験のために浪人した、ある男子生徒については、とても印象に残っています。
私と非常に気が合い、彼が大学に合格した後にも連絡を取り合う仲になっていました。
彼と相性がよかったのは、私が一方的に話をするのではなく、彼の質問に私が答える形式で、一緒にじっくりと考える方法で進めたからだと考えています。
場合によっては、1問だけで2時間を消費することもありました。
彼の思考回路が、私の思考パターンと近づいてくるのは、みるみるわかりました。
彼は、関東・関西の有名私立大学を次々と突破した後、地元の名門国公立大学へ進学することができました。
特に、私が担当していた数学では、ある私立大学の入学試験で、
「先生のおかげで、ほぼ満点の成績がとれた!」
という話を聞いて、とても嬉しかったのを、今でも覚えています。
私はこの家庭教師のアルバイトを通じて、
「プッシュ型ではなく、プル型で考える姿勢」
つまり
「考えさせること」
の重要性を身にしみて実感しました。
これは、現在の私の本業であるコンサルティング業に通じていると実感しています。
ガソリンスタンドのアルバイトで学んだこと
現在は、低コストであるセルフのガソリンスタンドが主流となっています。
しかし、昔は有人でガソリンをいれるガソリンスタンドが当たり前でした。
私は学生時代、ガソリンスタンドのアルバイトをしていました。
カードのポイントをつけたり、景品を渡したり、ガソリンや軽油をいれたり、タイヤの空気圧調整をしたり…
いろいろな仕事をこなしました。
夜の21時から働き始め、朝の9時まで12時間近く働きました。
労働規制が厳しくなった昨今、こんなシフト、可能なのかどうか分かりません。
しかし、私は、とにかくモチベーションが高く、若かったので、疲れもなく、とてもよく働いていた気がします。
お客さんと話をするのも楽しかった記憶があります。
「危険物取扱者乙4類」
という資格も取得して、当時の時間給を1000円から1200円に上げることにも成功しました。
ただ、ある晩、怖いお兄さん達にガソリンスタンドの景品をむちゃくちゃにされ、軽油をひっかけられるという事件に遭遇しました。
その場は、なんとか切り抜けることができましたが…。
こんな危険なところでは仕事できないと悟り、アルバイトを辞めることにしました。
対人対話力を含め、人生経験としては、とても成長させてもらったガソリンスタンドでした。
ただ、このときの、さまざまなお客さんへとっていた臨機応変な対応・コミュニケーションが、後のコンサルティングに活かせているような気がしてなりません。
IT系専門学校の非常勤講師で学んだこと
家庭教師は、個人に対するコミュニケーションでした。
しかし、専門学校や塾の先生は、プレゼンテーション能力がすべてでした。
私はそれまで、人前でお話しをする機会など、殆どありませんでした。
しかし、この非常勤講師を経験することで、飛躍的にプレゼンテーション能力をつけさせてもらった気がします。
最初の頃はひどいものでした。
私は「通信ネットワーク」という科目の講師をしていました。
私は、自信のない箇所は早口となり、自分でも何を説明しているのか分からなくなる時がよくありました。
自信のある箇所は、くどいように、同じことをしゃべっているときもありました。
これでは、生徒がついてこないことはすぐに分かります。
現に、生徒からの評価も最初は並以下でした。
しかし、授業をプレゼンテーションの練習として継続・経験していくうちに、
「生徒がどこに興味があるのか」
「どのように話をしたら伝わりやすいのか」
なんとなくコツがつかめてきました。
私も授業をすることが楽しくなってきた気がします。
そうなってきたら、生徒からの評価もぐんぐん上がっていきました。
生徒と雑談をする余裕がでてきたのを覚えています。
生徒と一緒にランチしたことも多々ありました。
専門学校の非常勤講師という経験は、私の貴重な職歴としてもカウントされました。
プレゼンテーション能力、コミュニケーション能力に加えて、通信ネットワークや情報処理試験講座といった、今流行りのIT分野の知識もつけさせてもらい、個人的には、かなりステップアップしたと思っています。
この非常勤講師を経験しなかったら、社会人になってからの私のスキルはそれほど伸びなかったのではないかと確信しています。
そして、この経験は、現在の「週3日だけ働く生活」にもつながっています。
私の場合は、アルバイトが、その後の人生の糧となっています。
そして、あなた自身もまた、あなた独自のさまざまな経験をしてきていると思います。
その経験と、現在のあなたが、どのようにリンクされているのか…
一度、じっくりと考えてみてはいかがでしょうか。
次のステップに必要な、何かを発見できるかもしれません。